こっそり外国語

フランスに住んでいるのになぜか中国語をやろうとしている管理人の、学習日記とつぶやき。平行して、アラビア語とイタリア語の学習、英語の読書ものんびり進めているので、その関連の記事もあります。

最近の勉強+今日の交換学習

 NHK「まいにちイタリア語」が遅れ気味だったが、お盆休みで再放送をしている間に追いつくことが出来た。リスニング編は前より難しくなってきたので復習をしなければならない、と思ってはいるがなかなか実行に移せないでいる。完璧にやろうとして何も出来ないことが多いので簡単なことを少しでも不完全でも、という方針に変えたいのだが、それでも始めるには気力が要るので、だらだらと過ごしてしまっている。遅れ気味なのに復習している余裕もなかった、というのが正直なところだ。ただ、どう復習するか考えはした。リスニング編の問題の会話の部分のところだけ1度聞いて、答えのページの日本語訳を見てイタリア語に直すようにしてはどうかと思う。出来ないところに印をつけて覚える。これを全ての会話についてやるのが理想だが無理なら毎日一つだけでも、と思っている。さてそれを始めるのはいつか、そしてどこから始めるか、だが、内容的に簡単なところから始めた方が進みやすいので、5月からではどうだろうか、と思案中。

 中国語はアンコールの「耳たこ中国語」を遅れずに聞いているが、先々週あたりになんとか補語というのがいろいろ出てきて、「分からない〜」感が一気に上昇した。去年の今頃この講座を聞いていたころはもうさっぱり分からなくなっていて、一応耳に入れているだけ、という状態になっていた。今年は今までスキットも聞いてわかるようになり、文法も語彙も難しすぎずついて行けている気がしていた。ここに来て様態補語、方向補語、などの用語に惑わされ、かつ内容も掴みにくく、きょろきょろしている。テキストの説明を落ち着いて読んでみたが、何がどう分からないのかも掴めていないので、質問も出来ず、分かったことと分からないことを整理することすら出来ない。こんなにも分からないのはさすがにまずいので、ここ数日いろいろと復習してみて、分かったこと、分からないこと、などなんらかの形でまとめてみようと思う。

 今日、久々にJiaが来た。もう中国に夏休みで帰ってしまったかと思ったのだが、オリンピックで飛行機だが高いのもあり、フランスに残っていたらしい。友達との旅行や仕事でうちに来られなかったが、今日は久しぶりにやってきた。オリンピックの話でもするかと思ったら、意外にもテレビをあまり見ていないとかで、私が日本のテレビドラマを見ていることについて中国語で話し始めたら、そのことであれこれ盛り上がった。日本の芸能人は中国でも有名らしく、私よりJiaの方が知っているかもしれない。木村拓哉が工藤静香と結婚した時は中国女生たちは泣いたらしい。そのころ私は木村拓哉が誰かも知らずにフランスで暮らしていたのだ。近年ネットの発達で日本に居た時はあまり知らなかった日本の芸能事情やテレビドラマについての情報も入るので中国人との話もしやすくありがたいことである。

 キーワードは
电视剧    连续剧   中文字幕  演员 yan3yuan2 网站 wang3zhan4

网站 がなかなか通じなくて書くはめになった。wang をwan のように発音しておりzhはもともと下手なので通じにくかったようだ。この語は途中で何度か言い直させられたが、最後までちゃんと言えていなかったと思う。あらかじめ単語は少し調べてあったし、俳優名は筆談で出来た。

 私が最近見ていた「クロサギ」はJiaは知らなかったが中国で流行っていたのは「东京爱情故事」ということを教えてくれた。「東京ラブストーリー」だということはすぐ分かった。これは原作の漫画もドラマも題名のみで全く知らなかったのだが、たまたまつい最近ビデオを借りて最初の方だけ見たので、話が通じやすかった。こんな古いドラマを今頃見ているのも不思議だが、つまらなくなって止めたのを、Jiaは“结局”jie2ju2まで見たとかで、結末を教えてくれた。

 中文字幕で見る日劇は楽しめて中国語の復習にもなり一石二鳥。字幕は全部は分からないし、発音がチェックできない欠点もあるが、見ながらあれのこと、こう言うんだった、程度の復習にはなるのだ。さて今夜は何を見ようか・・・。見始めると止まらず、面白いのがなくて勢いがなくなると当分近づかないのが私とドラマとのつきあいである。


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昨日から読み始め、今日読み終えた本

 短時間でさらっと読了した本だが一言書き残したい気になった。

  鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)
 語学に無関係に見える本だが、実は私の中ではちょっと関係している。

 この本は去年の春、日本に行っていた折に京都駅に隣接している百貨店内で著者の展覧会が催されていたので立ち寄った機会に購入した。その4年前ぐらいに日本に帰った時にロフトという店に絵葉書やポスターなどが大量に並んでおり、気に入ったものを買い求めたところ、後で片岡鶴太郎氏の作品だったと知った。片岡鶴太郎氏についてはよくは存じ上げなかったが、確かお笑いタレントではなかったか、という程度の知識はあった。「絵も描くのか。」と意外に思ったのを覚えている。

 京都での展覧会に行ったのは、たまたま近くを通りかかり時間があった、ということもあるが、この人の絵が好きだったというのが一番の理由だ。展覧会を出る時に何か記念になるものを買いたかったのだが、図録は重いしポスターはかさばる、旅の移動の妨げになるものは避けたかった、というわけで安価でハンディーなこの本を買った。絵は好きだが墨彩画を始めるつもりはなかった。

 昨日たまたまこの本を手にとって読み始めたのだが、実はこの本、墨彩画の説明はごく一部で、その他は人生論のようになっている。氏は40歳で突然思い立って絵を描き始め、誰かに師事することはなく、自己流で勉強を積み重ねていったという。芸能界の人脈などで早い時期に個展の機会を得た、重要な出会いがいろいろあった、など幸運に恵まれたとは思うが、人を動かす何かが氏の絵にはあった、ということでもあると思う。

 人に見せるために描かない、自分のために描く、(これを演技と重ねていて著者の経歴から説得力があるように思った。)魂の声に耳を傾ける、上手い下手は関係ない、とにかく描く、など絵だけではなく他のことの上達を目指す人にも参考になる言葉が多い。今までに聞いたことももちろん多いのだが、この人の書き方は体験に基づいていて説得力があると思った。

 なにより私もやろう、という元気をくれる本である。


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字幕なしで映画を見る 

 昔字幕なしでアメリカ映画を見ていたが今は英語力が落ちて字幕なしでは分からなくなってしまった、という話はした。せっかく英語を勉強していたのにもったいない、という声も聞こえる気がするが、「映画なんて娯楽なんだから別に分からなくていいさ。」と思っている自分がいるのも事実である。語学学習関係のブログを読んでいると学習の目標に「字幕なしで映画を楽しむ」が挙がっているのをよく見かける。好きな映画を字幕なしで楽しみたい、ということなのだろう。しかし別に全て分からなくても見て楽しめばいいではないか。だから今からでも出来るのだよ、と言いたい気もしてくる。

 私は今はフランス映画は字幕なしで見ているが、フランス映画に字幕なんて付けない国に住んでいるので、字幕が必要とは思わないが仮に必要でも字幕はないのである。初めてフランス映画を字幕なしで見たのは、20年前のパリで、私のフランス語はかなりお粗末なものだった。それでも見て楽しめた。ストーリーの分からなかったところを一緒に見に行ったフランス人に尋ねたら、説明がなくて想像するしかない部分だったということが分かった。分からなくて普通だったということだ。

 その後、フランスに住むようになってからも映画は常に字幕なしだが、いつも楽しんできた。フランスに来て2年目ぐらいにテレビで「刑事コロンボ」を見ていると、一緒に見ていたフランス人から「これが分からない。」などと質問され、あれこれ私が説明した。フランス語吹き替え版だったのだが、フランス語をきちんと理解していたということになる。でも全ての映画やテレビ番組を完全に理解しているということはないだろう。実は日本語でも出来ていないからだ。

 フランス語字幕つきの黒沢明の映画の日本語が聞き取れず、字幕を見ていた、ということがあった。なければ分からないな、で終わってしまうのだが、変に字幕がついているので聞き取れていないことに気が付いてしまうのだ。字幕はシナリオを見て翻訳しているかもしれないと思う。ネットで日本のTVドラマを見ていてせりふの声が低すぎて聞き取れず、中国語字幕で意味が分かったということもあった。(私の中国語のレベルで通用する内容なのだからかなり低レベルである。)これらの経験でも日本語の聴解力が落ちてきたかも、などと不安になったりはしなかった。

 今の日本の、主に英語教育関連で、字幕なしで映画を見る、ということが大げさに考えられすぎているのではないかと思うことがある。研究、分析のために見る映画ならともかく、個人的に娯楽としてみる場合、見て楽しめれば理解度は問題ではない。普通の娯楽的な映画はストーリーもさほど複雑ではないことが多いので、せりふが全て分からなくても筋はつかめるのではないかと思う。どんどん挑戦して分からないところがあってもあまり気にしなくてもいい。ここだけは分かった、などの楽しみ方も可能だと思う。字幕が付いているとついつい見てしまうので、DVDなら字幕を消して見るのがいいと思う。

 さて私はどうか。今は英語の学徒ではなく、映画を見るのも映画のためであり英語のためではないので、字幕があれば使わせていただく。字幕のフランス語を読みながら英語を聞く、というのは結構疲れる作業なのだが、やはり英語は学んではいなくても、語学学習者の悲しい習慣で、聞こえてくると聞いてしまうのだ。それは知らない言語でも同じことで、外国語を学習する前は字幕を見ながら俳優がそれを話しているように感じて見ていたのに、と思うと、失われた能力の一つのようにも思えてくる。その能力は失ったかもしれないが、外国語を聞くという習慣を得たとも言える。ちなみに日本映画でもついつい字幕を読んでしまうことがある。「ふーん、そう訳すのか。」「なるほど。上手い役だ。」「妙に説明が多い訳だけど、仕方ないのか。」「かなりずれているぞ。」と映画を見ながらなんと邪念が多いことよ。

 


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字幕なしで映画を見ていた私なのに・・・

 Chez toiさんから「まゆのさんは映画を字幕なしで見ていたらしいのに、なぜ今そうなってしまったのでしょう。」という趣旨のコメントをいただいた。

 アメリカ映画を字幕なしで楽しめたのは随分前の話だが、本当のことである。飛行機で海外に行く際飛行機の中で字幕なしの映画を見て楽しんでいた記憶がある。(JALではないので日本語の字幕などなかった。)短期ではあるがイギリスに語学留学中にTV番組も見ていたし、演劇も見に行ったことがある。当然字幕などない。音声多重放送が出てきたころだったので、自宅のテレビで副音声の英語で映画を見ていたこともあったし、幼児番組とは言え、昔放送されていたセサミストリートなど普通に見て楽しむことが出来た。

 今セサミストリートを英語で見る環境には居ないし、その他のテレビ番組も英語のものを見たりはしていない。(見ようと思えばCNNとBBCは英語で見られるはずだが。)フランスに来てからは映画もあまり見に行かず、たまに見に行く時やテレビで見る時はフランス語吹き替えだし、近頃子供と見に出かけるアニメ絵画などは全てフランス語吹き替え版である。

 こんな環境の中で字幕なしでアメリカ映画を見ることなど忘れていたし、必要もなく、今も字幕なしで理解できるか、など考えたこともなかった。英語の映画が字幕なしで分かなくなっているのに気が付いたのは1年以上前のことだ。たまたまYouTubeで映画を見ていて、日本語字幕が出ていたので、字幕をずっと読んでいる自分に気が付いたのだ。

 さてここから、なぜこうなったか、ということを考えつつ、語学の習得について考察していきたい。

 世の中には「バイリンガルになる」という言い方をする人がいるが、バイリンガルというのは一度なったら一生もの、という種類の資格ではない。バイリンガルとは言わないまでも結構いい線行っていた筈の私の英語の例を見てもそうだが、前はもっと分かったのに忘れた、という経験を外国語で持つ人は多いと思う。つまり外国語というのは維持の努力を怠ると力が低下していくものなのだ。私のフランス語だってそうだと思う。今はフランスに暮らしフランス映画を字幕なしで楽しめるが、フランス語圏を離れフランス語を日常使うことが全くなくなって数年したら今のようにはいかないと確信している。フランスから離れたらフランス語の維持に努めない限り、少しずつフランス語の語彙はこぼれ落ちていき、話す習慣を無くし、聞き取りの力も落ちるはずだ。(しかしフランス語の耳は英語より日本語の耳に近いので落ち方は英語ほどではないのではないかとは思う。)

 つまり私は英語を維持する努力を怠ったのでこうなったというのが簡単な結論である。

 


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中国語の比較             

 アンコール中国語講座の先週のステップで比較の構文を学習した。この講座は去年やったはずなのだが、このあたりは全く記憶になく、初めて聞くような気がした。

まず出てきたのは

大连比北京凉快。

気温の話をしているのにそれを明記する必要はなく、日本語に似ているのが面白い。スキットには

工资比你妈妈高多了。

という文もあった。これも「私の給料はお母さんの給料よりも」とくどくどとなりがちな西洋語に比べてすっきりした文になっている。「給料はお母さんよりずっと多いよ。」という日本語と同じだ。やはりアジアの言語だから共通点があるのか。

しかし否定文は奇妙に感じた。

大连没有北京大。

“没有”ってどこから来た?という感じなのだが、中国語の否定文は“不”と“没(有)”のどちらかを使うようで、そのどちらなのかが分かりにくい、という新たな問題を自覚することになった。


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久しぶりに英語の短編

 今日は待ち時間があったので以前から持っている10 Short Stories: From Guided Reading to Autonomyという本の中の短編を読んだ。この本は前にメインブログでも紹介したし、この本の中の短編はこのブログでも扱ったが、久々の登場である。

 読んだのはIsaac Asimov の"Robot Dreams"という短編。本当に短いので待ち時間で読み終えてしまった。この著者は名前は知っているが作品を読んだことはなかった。SFと言うのだろうか、人工知能の研究所を舞台とするロボットに関する話である。ちょっと怖いとも思える内容で、テンポもいいし読みやすかった。

  この短編は下の短編集に含まれているので短編好きな方にはお奨めしたい。 
     Robot Dreams (Remembering Tomorrow)


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久々のGR “Notting Hill”

 先日ナントに行くTGVの中で読んだのがこの本。薄くて軽いので持ち運びが簡単だと思い、ハンドバッグに入れていたからだ。

   Notting Hill: Level 3, Penguin Readers (Penguin Longman Penguin Readers S.)

 この本は同名の映画をベースにして書き起こしたGRのようだ。映画は見たことがなく、映画の内容についての予備知識は何もなかった。主演男優の顔やは知っていたので、映画の場面を想像するのに役立ったとは思う。

 映画を元に書き起こした本を読むのはこれが初めてで、GR+映画のリライトという組み合わせについて考えられさせられるものがあった。GR紹介のサイトなどでは評価の高いGRのようだ。映画を見た人は映画のシーンや俳優たちの動作や表情を思い出しながら楽しめるので良いのではないかと思ったが、映画を見ていない私のような読者にはどうか。映画のシナリオか映画そのものを見ながら書いたと思われる本で、シーンの説明や登場人物の服装などが説明されているのだが、描写というにはお粗末な内容で(GRだから仕方がないが。)映画を知らない私は惹かれるものがなかった。会話なども映画から取っていると思われるが、映画では笑うシーンではないかと思われるシーンも笑いに至らない。何が足らないのか。やはり映像の持つ力、俳優たちの表情などがないからではないか。

 ストーリー自体も、ハリウッドの映画スターとイギリスのしがない書店主の恋という設定に無理があるように思ったのだが、映画で見るともっと自然な流れになっているのかもしれない。

 後半は二人の恋がどうなっていくのか(どう話をまとめるつもりなのか。)に興味が出て、映画のシーンが想像できる部分も多くなり、前半より楽しんで読めた。

 原作の映画が好きだった人、同映画に出演している俳優が好きな人、ラブストーリーが好きな方でGRを読みたい方にはお奨めできると思う。GRでないリライトも出ているようなので、そちらと読み比べて映画のリライト小説について考えてみるのも良いだろう。


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おしゃべりなイタリア人

 ラジオのイタリア語講座の会話を聞いていたら、昔パリに住んでいた頃、友達だったイタリア人エリザベッタの彼、リカルドを思い出した。

 大学で仲良くなったエリザベッタとはよく一緒にご飯を食べたり勉強したりしていたが、彼女と同居していた同じくイタリア人のリカルドは明るくて話好きな男性で、話題も豊富で楽しい人だった。エリザベッタに用があって電話をするとリカルドが出てくることがある。私が自分の名前を言うと

Oh, Mayuno!

と大声で叫び、べらべらと話が続く。15分ぐらいあれこれ話した後、やっとエリザベッタに代わるのが常だった。

 そんなリカルドが「もうフランスに住んでいてフランス化している自分としては、イタリア人は余計なおしゃべりが多くて我慢できない、と思うことがある。」と言った時は笑いそうになった。ローマでは一日一つの用事が済めばいい、と思っていないとストレスが溜まる。銀行に行った後、買い物をして、それから・・・と予定を立てていると絶対そのとおりにならない。銀行に行くとお客が長蛇の列をなしているというのに、窓口の銀行員は「奥さん、髪型が変わりましたねー。似合いますよ。どこの美容院ですか。」とか「犬の病気は治りましたか?」みたいは話をお客と長々とやっている。そういうのがサービスであり生活の潤いだと思っているので、長々待たされてやっと自分の番が来るとどの人もおしゃべりをしていてますます時間がかかる・・・。後ろでまだたくさん人が待っているのに余計な話で時間を取るなー、と怒鳴りたくなるのだそうだ。今では随分慣れたとは言え、フランスがすでに日本人の私から見ると仕事の効率が悪くてイライラするのだが、私がイタリアに行ったらリカルド以上にストレスが溜まるのではないだろうか。でもどこか憎めないのがイタリア人だと思う。


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「まいにちイタリア語」 − やっぱり会話が面白い。

 NHKの「まいにちイタリア語」の7月第一週めは、ご存知のように会話の特別編だ。放送日より遅れていまったので、やっと今日先週の分を聞き終えたところだ。

 やっぱりイタリア語は会話が面白い。声優さんたちの大げさな言い方が笑いを誘う。文法をやっていると、どうしても私の場合、フランス語に似ているため「知ってる、知ってる。」と思って、実際には自分のものになっていなくても分かったような気がして通り過ぎてしまうことが多い、と自分で思う。会話の場合、聞いていると分かるのだが(耳で聞いてもやっぱりフランス語と似ている。)リズムや抑揚が面白くて頭に残りやすいように思う。文法の例文をどんどん大量に、というのは単調で難しいが、会話など内容があるものは量をこなすことも可能だ。イタリア語の場合は、文法をほじくるのではなく、とにかく聞く、読むという学習方法が、今の私には合っているのかもしれない。簡単な会話を通して今までの文法事項を復習できる、というのはなかなかいい。リスニング編はもとよりこのパターンなので、今週はうれしい一週間である。もっと会話が長くて、何度の聞かせてくれたら、と思う。今の「まいにちイタリア語」は時間が15分と短いこともあるのかもしれないが、解説の日本語がゆっくりで、イタリア語をしつこく聞かせる時間が取れないのか、2回ぐらい聞くだけに終わっているのが残念だ。会話の意味の説明はテキストにもあるのだし、あまり丁寧にやる必要はないのではないだろうか。

 ところで「アンコールイタリア語」のテキストを2冊注文した。パート1と2に別れていてこれで半年分。4−9月期と10−3月期が同じ内容らしいので、10月からのために今から注文した。雑誌なのだが定期購読扱いにはならないので、海外発想を扱っているところが少なく、届くのに時間がかかる。まあ10月までに届けばいいのだから余裕がある。「まいにちイタリア語」は10月からは4月からの再放送らしいので、別のものを聞きたくて「アンコール」にすることに決めた。入門編は会話が多いらしいので楽しみである。

 


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中国語、完了の「了」の位置

 先週、NHKラジオ講座「アンコール中国語」の「耳たこ中国語」を聞いていて、おやっと思うことがあった。ステップ50のスキットの中に

你自己吃药吗?

という文があり、この文の「了」の位置にひっかかりを感じたのだ。というのは同じ日のキーセンテンスが

我吃两片止疼片。

で、文法解説で

「動作行為の完了を表す助詞の“了”は動詞の直後につきます。」

と説明しており、テキストにもそう書いてあるからだ。一つ目に挙げたスキットの文を聞いて“了”が動詞の直後じゃないじゃないか!と思ったのだ。

思えば旅行会話帳に

你吃饭吗?   Hello !

と書いてあり変に思ったことがあったが、この文も“了”の位置が動詞の直後に来ていない。

 動詞+目的語でも一体化しているものがあるのではないか、と思った。

吃药 はともかく吃饭はかなり一般化し日常的によく使われる組み合わせのように思える。こういうのって離合詞って言うんだっけ?と思うのだが、NHKのテキストには何の説明もなく、手元に有る本にも特に説明が見つからない。

 何かと謎の多い中国語の文法、の例がまた増えてしまったようだ。痒いところに手が届く説明がない、一つ説明した後その舌の根も乾かぬうちに説明から外れる文が出る・・・。私のような真面目な初心者には困ったことである。

 


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NHK語学講座も後半

 このブログのテンプレートもこの間、夏バージョンに変え、と言ってもあまり変わってないが、長女が夏休みに入ったので、我が家も夏休みっぽい雰囲気になっている。

 去年の7月号のラジオ中国語講座のテキスト(今のアンコール講座は去年の再放送なので、去年のテキストを使っているのだ。)を出してきたら、あら、表紙が新品同様。つまり去年は7月から惰性で聞くようになり理解していなかったということだ。今年はスキットを聞いていて大体分かるし、今月から始まった聞き取りのドリルも聞き取れるようになっている。1年なんとなく続けてきたわけだが、1年前よりや向上しているようだ。

 4月から勢い込んで去年のCDで始めた応用編は5月のはじめぐらいで脱落。やはりスキットが難しくなってきて分かるところが少なすぎて続けられなかった。来年また挑戦したいと思う。

 中国語はちょっとした疑問が先週からあるのだが、このパソコンは簡体字が打てる環境ではないのでのちほどまとめてアップしたいと思う。

 「まいにちイタリア語」講座は数日遅れてしまったが、今後も継続予定だ。文法編は覚えていない動詞の活用が出てき始めたので、きちんと復習しなければ。

 アラビア語はこのところ勉強できずにいる。来週から暇が増えるはずなので再開したい。


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フランス人向け中国語の教科書〜大変そう〜

C'est du chinois

  Jiaが買ってきてくれて使っているフランスで出版されている中国語学習書。内容を見るとおそらく大学生向けで、独習用ではない。2冊組で販売されているようだ。読み書き編と聞き取り編に別れており、聞き取り編は前に書いたようにピンインしかない。同じダイアログが収録されており、練習問題が違っているようだ。私は漢字のあるテキストのコピーをもらい、普段はこちらの方をよく使っている。(やはり漢字がないとJiaも分かりにくいのではないだろうか。)

 コピーをしてくれたJiaは、単なる漢字の運筆練習などは私が面倒がるのを知っていたらしく、会話や語彙のリスト、練習問題、作文などのページだけをくれた。ページ数が飛んでいるのでどのくらい飛んだのか分かるが、第一課が始まるのがなんと56ページ。それまで何をやっているのか。中国語の発音、表意文字とは何か、などをくどくどとやっているのではないか。1課と2課はJiaが簡単すぎるというので飛ばし、先日5課をやった。1課と2課は自習でひととおり読んだ。5課まででは文法的には知っていることばかりで易しく、語彙も漢字から推測がつくものばかりで難しくない。だから会話練習に集中できて、とてもいいと思う。

 しかし日本人の私には難しくないが、この本はフランス人にはかなりハードではないかと思ったりする。一課から漢字ぎっしりの会話文が出てくるので、全部漢字を覚えるんだろうなー。漢字は嫌、という人のためにもう一冊のピンインのみの本があるのではないか。これは大変だよ、と人ごとながら思ってしまう。しかも各課の末には同テキストの繁体字版が繁体字の語彙リストとともに入っている。まさかこれも全部覚えるってことはないよな。私は繁体字の方が好きかも、と思うのだが、混乱するので、ちらっと見る程度にして絶対覚えようとしないことにしてしまった。

 さて会話文のレジュメはというと、少し慣れてきて、短い文なら前よりはスムーズに言えるようになってきた。習っていて知っているはずなのに忘れて思い出せず適当に言ったところと、うっかり間違えたところを指摘された。

「馬力山(という人)のところで」と言いたくて、この言い方を習ったことは記憶していたのだが、どう言うのかは忘れていた。

马力山家

は使えない。家ではなくオフィスだったからだ。そこでいい加減に

在马力山

とやってみたが、やっぱり駄目。

马力山那里

と直されてやっと思い出した。そうだった、そうだった・・・。

“在”は「で」だよね、といった私に同意しながら“在”の横にひらがなで「で」と書いてくれた。濁点も忘れていないし、ちゃんと覚えている。上出来、上出来。

 文法間違いとしては

山本的同事没有工夫。

と言おうとしてうっかり「不」にしてしまい、失敗。やっぱりまだこんなことも間違えてしまうのだ。

parce que(なぜなら)をどういうのか忘れて教えてもらった。

因为 yin1wei4

便利なので次までに覚えてレジュメに入れよう。

 ところでこのテキストのタイトル、C'est du chinoisはそのまま訳せば「これは中国語だ。」ということだが、この表現は「さっぱり意味が分からない。」という意味なのだ。中国語は分からない言葉の代名詞、というわけだ。まだフランスに来たばかりのころ、うちに来たフランス人が本棚にあった日本語の本を広げてC'est du chinois!とつぶやいたので、私がNon, c'est du japonais. と言うと「知ってるけど、それじゃ意味が違う。」と言われた。このときに初めてC'est du chinoisという表現を知ったのだが、日本語がこの表現に選ばれなかったのを喜ぶべきか、悲しむべきか、微妙なところである。


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変な活用の動詞

 NHKラジオの「まいにちイタリア語」では6月に入ってから動詞の変化をやるようになった。イタリア語らしくなってきたなー、と思いつつ復習をしていたのであるが、自主学習教材として使っているしっかり学ぶイタリア語―文法と練習問題 (CD book―Basic language learning series)でもこのところ動詞をやっている。今日やったのは動詞avereの活用。

 しかし、いつ見ても変な活用の動詞である。

         ho     abbiamo
         hai    avete
         ha     hanno

原形にはない“h”が頭にあるのがまず変なのだが、複数形の最初の二つには“h”がない。複数形の最初の二つが仲間はずれになるケースはフランス語にも見かけるので、まあこれはいいとしても、一人称複数 abbiamoでいきなり“b”が混ざってくるのも不思議だ。そしてまた二人称複数ではそ知らぬ顔で“v”に戻っているのも腑に落ちない。変な活用(つまり不規則)は他にもあるのだろうが、この動詞は特に変に思える。

 思えばフランス語のallerの活用も変わっている。(avere に相当するavoir も不規則だがallerほど変ではない。)

       je vais       nous allons
       tu vas       vous allez
       il va          ils vont

大学の外国人向けフランス語講座で勉強していた頃、たまたま動詞partirをやっていたので、スペイン語圏の友達に向かって「なんかフランス語ってスペイン語と同じだなー。」とつぶやいたことがある。するとフランス語で私と共に苦労していた彼女は「これは同じだけど、動詞aller(行く)はスペイン語ではirだから違うわよ。」と言うのだが、「でも未来形はどうなのよ。」と言ったら「ほんとだー。同じだー。」と驚いていた。

 そうなのだ。allerの単純未来の活用は

    j'irai        nous irons
    tu iras    vous irez
    il ira      ils irons

語幹まで変わっていて同じ動詞とは思えない。どうしてこんなことが起こるのだろう。不思議な現象である。イタリア語でも同じようはことがあるのか・・・?ちょっと楽しみなような、やめて欲しいような・・・。まだ活用は直接法現在しか見ていないので、この先がちょっと怖い・・・。

 


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最近の勉強

 自分ではちょっとペースダウンしていた気がしていたが、今日は午後中国語に時間をかけたので、自慢(?)としてここに最近の勉強を記しておこう。

中国語

 NHKの「アンコール中国語」の「耳たこ中国語」を放送日に遅れず、ちゃんと聞いている。去年よりは分かるところが多くなっていてうれしい。スキットもいまのところ聞いて分かる部分がほとんどで難しくない。

 ダブルハピネス中国語文法 基礎編は予定より遅れ気味だが、ステップ042までやった。練習問題を間違えたりす
ることもあるのだが、さらっとやって進んでいる。(本当はもっとしつこくじっくりやった方がいいんだろうけど。)とりあえず大体つかんで進む、というやり方でやっているのだ。

 昨日、夫が会社でJiaから預かったというコピーの束を持って帰ってきた。Jiaと一緒に勉強しているフランス語で発行している中国語の教科書のコピーだ。(本の題名がはっきりしないので後日、書き加えようと思う。)ピンインだけのじゃなくて漢字が付いている方で語彙などを復習したいのでコピーを頼んであったのだ。明日Jiaが来る予定なのでこの本の1課は飛ばし、2課から4課まで一緒に勉強したので、やったところまでの練習問題や語彙に目を通し、分からないところがないかチェックし知らない単語や漢字があれば覚えよう、と思って今日の午後一課からやり始め、一気に3課の終わりぐらいまでやった。(ちょっと多くて途中で疲れていたのだが。)漢字を書く練習のページがあるのだが、私がだるいと思うのを知っているJiaはそのページは省いてくれていた。(だって“人”とか“中”とか、もういいって。)だから会話文のところと語彙練習、ピンイン→漢字文書き直し、穴埋め問題などをやった。意外に分かり、難しくなく出来た。そして語彙のリストで覚えていないものにマーカーで色を入れたりした。明日、もう一度見直して午後Jiaが来る前に3課の残りと4課を済ませてしまいたいと思っている。(きっとJiaが驚くだろう。)

イタリア語

 NHKラジオ「まいにちイタリア語」が一日遅れているが、まあ順調だ。動詞の変化が出てきてイタリア語らしくなってきた。リスニング編も分かるので答えを間違えたりはしないが、前にも書いたが、これがかえって不安になる。「あ、答え、合ってた。」だけで終わってしまいそうだからだ。リスニング編はキーフレーズがないので毎回1-2フレーズ自分で決めて意識して覚えるようにしよう。前は全部覚えようとしてなかなか続かなかったので、完ぺき主義的なやり方はやめて少なく絞った内容はきちんと、というやり方に変更。リスニング問題も答えが合ってたから「めでたし、めでたし。」ではなく、答えは分かってもはっきりしない部分があることがあるので、スクリプトのチェックをしっかりするようにしよう。

 2週間ぐらい前から 「しっかり学ぶイタリア語」という本で文法の復習をしている。なかなか毎日出来なくてまとめてやっているのだが、今7課までやった。

 しっかり学ぶイタリア語―文法と練習問題 (CD book―Basic language learning series)

 まだ前に勉強した内容なのだが、この本の終わりの方になると接続法など私が存在は知りながらついに覚えることのなかった内容が出てくるので、最後まできちんと勉強すればステップアップにつながりそうな本だ。CDの録音内容がもっと多ければ、とか例文がもっとあれば、とか注文はいろいろあるのだがよくまとまった分かりやすい本だと思う。練習問題も適量で大変すぎず、進めていきやすい。

アラビア語

 イタリア語のラジオ講座を始めてから、どうにもお留守になってしまったのがアラビア語。今は停滞していても仕方ないかも。とは言え、前から取りかかっているアシミルの28課がまだ終わっていないとはどういうことか。明日必ず少しはやろう。(今日じゃないところが弱いのだが、だって今日ってあと30分ぐらいしかないもん。)

英語

 オリジナリティーに欠けているし新鮮味もないので、いまいち盛り上がらないのだが、錆付いているし割りに必要かも、と思っているこの言語。どうやって勉強するのかも相変わらず模索中だが、今ときどきやっているのはEnglish Journal のCDをとにかく聞く、ということ。通勤の帰りにメトロの中で聞くことが多い。聞き方としては

本は一切見ずにいきなり聞く。→ 分かりにくいところがあればそのトラックだけ何度も聞く。→ 本でトランスクリプションを確認。 → 再度CDを聞く。

というようにやろうと思っているのだが、実際はトランスクリプションの確認を怠って何日も過ぎてしまうことが多い。だからただCDを聞いているだけになっているわけで、しつこく同じトラックを聞くとしてもこれでは分からないところは分からないままだろう・・・。全体的な話の理解度は上がっていく気がする。

 この教材の問題点は、今はインタビューのところしか聞いていないので他の教材については分からないが、一度に複数の人がCDに登場しているので誰が話しているのか声だけでは掴みにくいことがあることだ。もともと何の予備知識もなしに聞いているので背景が掴みにくく分かりにくいのだ。そして第2の問題。こっちの方が私にとっては深刻だ。この教材に出てくる英語は少なくとも私が聞いた部分に関しては、私が勉強したい英語ではない、と思うことだ。じゃあどんな英語が勉強したいのか、と言われるとはっきり説明できないいので、仕事で使えるような英語、と漠然とした言い方になってしまうのだが、私が聞いた二つのインタビューは二つとも、私が仕事で使うような英語ではない、とはっきり思うのだ。でも英語に慣れることにはなるので全く無駄ではないのだが、効率よく必要なことを学ぶ、という点では全くずれている。

 やはり英語の読み物を読む方が勉強になるだろう、という気にもなってくる。しかし通勤時間で聞ける、という点はありがたいのでこれからも続けていこうと思う。

 そして5月9日から始めたi-knowというサイトの「TOEICリスニング基礎編」というのを5月31日に終えた。、250あるアイテムの220をスキップしている、と結果に出てくるのだが、2ヶ月で終えるというのが普通らしいのに早く終えた原因はスキップしたアイテムが多かったからなのだろう。それでも合計3時間32分かかった、という結果が出てくる。いつの間にか時間をかけていたようだ。

 単語やイディオムを覚えていくプログラムでよく出来ているとは思ったが、一つ終わったので喜んで今度は「TOEICリーディング基礎編」をやり始めたところ、また全く同じパターンで驚いてしまった。リーディングだから何か長いテキストを読むのかと思っていたのだ。ところが、これまた単語とイディオムの練習の繰り返し。リスニングと同じというのはどういうことか、と思ったのだが、どうもTOEICの傾向と対策らしく、リスニングでよく出る単語、リーディングでよく出る単語、というのがあるらしいのだ。で、またまた単語の復習に終始するのか、と思ったら疲れてきてしまった。

  相変わらす悩みが尽きない英語学習なのであった。

 


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Jiaとの交換授業

 仕事や所用で交換授業がなくなっていたが、昨日はJiaが1ヶ月振りにやってきた。

 今日は復習をやろう、というので日本語で前にやった動詞、否定文などの練習、会話などをやったあと、中国語の番になった。私はちょっとした文章を口頭で発表しようと思っていたのが、きちんと準備をする時間がなかったのでimprovisationでやってみた。息子がテニスをしている、というような簡単な話だったのだが、発音を注意されたのは“网球”の“球”。qiuなのだがjiuのように言ったら合格した。???やっぱ有気音、無気音って難しい。

 それからJiaが你听说・・・で始まる文を投げかけてきた。耳を澄まして聞いていると、di4zhen4という言葉が分からない、と気がついた。それでdi4zhen4が分からない、と言うと、ペンを執ってささっと書いたのは“地震”。これで思い出した。中国で大きな地震があったのだった。Jiaは四川省の出身なので、地震の被害が多く出たところらしく、ニュースを見ながらJiaの両親や友達は大丈夫だろうか、と思っていたのだった。会ったら真っ先に安否を聞こうと思っていたのに、(思っていたわりに中国語でどう言うかを調べることもしていなかったことに同時に気がついた。)言われるまで忘れていた。そこで你父母好吗?と聞いてみた。こんな言い方でいいのかと思ったけど分かってくれて、答えてくれたのだが、速いし長いし、そんなの分からないよー、と思っているとゆっくり繰り返してくれたりする。ゆっくりなら分かるっていうレベルでもなかったのだが、それでもmei3shi4というところが分からない、と思ったので尋ねると“没事”と書いてくれた。なるほど、無事だったということか。よかった、よかった。友達も無事だったけど、友達の両親の家が壊れた(らしい)、友達の友達の両親で行方不明になった人がいる(らしい)ということを筆談を交えながら全部中国語で説明してくれた。私の理解度も怪しいのだが、大体そういう話だったと思う。日本は地震が多いのか、というので神戸の地震の話をした。(といっても私が出来る範囲ってかなり限られている。)

 このわけの分からない中国語の会話で勢いがつき、とにかく何でもいいから言ってみる、というスタンスで過ごした。通じないと“这个字”などと言って紙に書く。「Ah」とか納得してくれて正しい発音を教えてくれるのだが、時には私が言っていたのとはまるで関係なくて笑えた。やはりずうずうしさは外国語上達の必要条件だろう。

 この日はいろいろな造語にも挑戦。Jiaが新しく買ってきてくれたテキストのレジュメにも勝手に作った語を入れてみると、「うん、それは出来る。」ということが意外に多い。例えば“卖买”という言葉が出てきたので“卖买人”というのを作ってみたら、そういう言葉があるらしい。中国語が中級レベルの知人から「とにかく漢字をくっつけてどんどん作れるのよ。」と言っていたのは本当らしい。

 昨日の造語の決定版は“死鸟菜”。この名がふさわしい料理がフランスで出たので、その話をしていたのだ。しかし“菜”の発音が悪く、もともと勝手な造語なので、通じず、書かなければならなかった。どうもCをZのように発音していたようだ。やっぱり難しい有気音、無気音。

 ところでこの日Jiaが新しく買って持ってきてくれたテキストは、前から使っているテキストの姉妹編で、話す、聞くを強化するためのものらしく、漢字が一切ない。全部ピンインで書いてあるのだ。Jiaが読みにくいのではないかと思うが、私は漢字で分かってしまうのでこの方が力がつくのでは、と言われた。(鋭い!)しかしピンインで書いてあるにしても、後ろの方に簡体字で書いたテキストを載せるのが普通かと思うのだが、簡体字はどこにもなくて、アルファベットだけ。さすがフランス人!日本のテキストならこれはないと思う。

 そしてこの日のテーマ単語は“草莓”。前日にいちご摘みに行っていたので、家に大量のいちごがあり、授業の合間に次女がちょろちょろ邪魔に入り、「fraises欲しい。」とか言っている。「いちご」は・・・“草莓”、と思いながら、文を作る。昨天我们・・・「摘む」が分からないので手で動作をしていると、zhai1と言いながら書いてくれたのは正に““。そこで文を続ける。昨天我们摘草莓するとJiaが「どこで?」と言うようなことを聞いてきた。哪里という言葉が入っていたので、分かった。一語分かれば大体分かる、ということも日常ではよくあることだ。

 めちゃくちゃでもとにかく話す、ということを実行したので、たくさん会話が出来た気がしたが、私のはやはりまだ中国語ではないだろう。そんなことは分かっているが、とりあえず最初はこれでいいのだ。前よりいろいろ話せるという錯覚を持てた交換授業だった。


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