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中国語の時制

 このごろなかなか進まない「一冊目の中国語」だが、今12課に入ったところだ。

 しかし11課の例文で実は気になることがあったのを思い出したので記しておこう。

 例文に以下のような文がある。

 我去小王家的时候,他们家人正吃饭呢。

この文の和訳は「私が王さんの家に行った時に、彼の家の人はちょうど食事中だった。」とある。

 しかしこの例文、過去のマークがどこにもないではないか。“正・・・呢というのは「今~しているところだ」という意味のはずで過去ではない。これに時の限定がついたら過去になる、ということだろうか。時の限定の部分、我去小王家的时候にも過去のマークはないのだが、この二つを並べたとき、過去と解釈しないとつながらないように思う。「私が王さんの家にいくと、いつも家の人がご飯を食べている。」と言いたい場合ははっきりさせるために、「いつも」という言葉を入れるのだろうなー。

 時制をいろいろ覚えなくてはならない言語は手間もかかり、面倒ではあるが、「時制は適当に解釈して。」という言語も、学習者としてはちょっと困るような気がする。

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テーマ : 中国語
ジャンル : 学問・文化・芸術

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非公開コメント

その気持ち、分かります。

まゆのさん、中国語に時制(テンス、フランス語ではtemps かな?)がないというのは、本当に落ち着かないですね~。それなのに相(アスペクト)はちゃんとあったりするから始末が悪い。過去をあらわすのに全然何もつけないなら、落ち着こうってものですが、「了」がついたりする。

あ、そうだ、New French with Easeに書いてありましたが、イギリス人がフランス語を習うとき、英語の現在完了形と過去形の区別がない、フランス語ではどっちも複合過去形で片付くということに戸惑うみたいです。

はじめまして。楽しく 読ませていただいてます。
まゆのさんの疑問点や問題点はとっても整理されて
いて しかも視点がしっかりしているので
さすがと感じてます。
中国語の正・・・呢は 「そのとき~しているところだ」
と私は解釈してます。 「今」じゃなくて 文が表している
時制のその時の進行している動作。
だから 過去にも現在にも未来にも使える形なんです。
「12時ごろ彼を訪ねていったとしたら 彼はきっと
 ご飯を食べているところですよ」
とかね。
了には未だに泣かされてます。
るもんが さんのおっしゃるように 落ち着きが悪い、
習得するに落としどころがない感じです。
勉強し始めて久しいのに 未だに使いこなせていない
手ごわいやつ なんです。


るもんがさんへ

 分かっていただいてうれしいです。何かもやもやしたものが溜まってきています。私にとっては「了」の位置もちょっと謎ですし、「了」=過去のマークではないようで、「了」って何??と思っています。

 なるほど、そうですね。というかフランス語の複合過去って構造的には英語の現在完了と同じですよね。単純過去もあるわけですが、英語の過去とは使い方が違いますしね。フランス語は現在進行形がなく、être en train de ~も英語の進行形に比べて使用頻度が低いので、フランス人の英語を聞いたり見たりしていると、私なら進行形にする、と思うところが現在形になっているケースがよく見られます。

kamomeさんへ

 はじめまして。こんなブログが楽しいと言ってくださる方がいらっしゃるなんて信じられません。本当にありがとうございます。

 漢字の意味が分かる気がして面白そうだし、と気軽に始めた中国語ですが、私にとってはまったく謎の多い言語です。難しい、という場合、どこが難しいのかある程度つかめると勉強しやすいと思うのですが、(例えば、動詞の不規則変化が難しい、格変化が複雑、慣用句が多い、数詞が変わっている、など)どこがどう難しいのか、発音が難しい、という以外、いまだにはっきりつかめていません。勉強し始めてまだ数ヶ月の身なのでそんなに簡単につかめるものではないのかもしれませんが、勉強し始めたころは謎はなかったのに、勉強が進むにつれて、どんどん謎が増えてくる、という不思議なことになっています。

正・・・呢は 「そのとき~しているところだ」 ということで必ずしも現在ではないということですね。なるほど、ありがとうございます。上のコメントでるもんがさんもおっしゃっていましたが、中国語は時制よりアスペクトの言語だということを頭の隅に入れておきたいと思います。

「了」も謎ですが、私には「的」も不可思議で、最近「也」もよく分からないことに気が付きました。これから勉強を続けるとさらに分からないことが増えるんじゃないか、とちょっと自嘲的になっています。でも勉強が進んだから分からないということを自覚できるようになったのだ、と思うようにしています。

 本当に興味深くも難しい言語ですね。

たまたま,解説を見つけたので告诉します。
 『実用漢語課本』
 語気助詞“了”は常に動作や事柄が過去に発生したことを表す。
 しかし,過去に発生した事柄全てに語気助詞“了”を用いるとは限らない。
 過去の事柄,特に連続して起きたいくつかの事柄をただ一般的に述べる場合,あるいは
 当時の情景を描写してはいるがすでに起きたという肯定の語気を強調しない場合には
 “了”を用いなくてもよい。例えば:
 昨天他上午去中国大使馆,下午去看足球赛。
 我去看他的时候,他在家休息呢。

Saitoさんへ

 いつもためになるコメント、ありがとうございます。
 私が疑問に思った例文は、この説明の「当時の情景を描写してはいるがすでに起きたという肯定の語気を強調しない場合」に正に当てはまりますね。
 なんとなく納得してきましたが、こういうことって理屈が大体分かる、というのと使いこなせる、というのは別ですから、私が中国語を使いこなせるのはいつ??という気になってくるのも事実ですね。あまり先の心配はせずに、今の勉強を続けて行きたいと思います。

甭管它了

 "了"は本当に分かりにくいと思います。正直言ってわたしもいまだによく分かりません。

 Saitoさんが転載してくださった中に「“了”を用いなくてもよい」とありますが、「用いなくてもよい」はつまりは「用いてもよい」な訳で。
全く気にしなくてよいなどとは申しませんが、わたしは最近は"了"のことはほったらかしにしています。

 日本語を勉強している学生から「持っていく方がいい」と「持っていった方がいい」の違い・使い分けは何ですか、なんて恐ろしいことを聞かれます。文法学者を目指すならまだしも、普段の会話で問題になることは100%ないから気にするなと答えておきました。

 「明日は友達と出かけました」なんて平気で言うようなレベルでは困りますが、特に初級のうちは程々の理解でよしとしておくのがよろしいのではないでしょうか。

けいさんへ

 アドヴァイス、どうもありがとうございます。そうですね、初心者のうちはあまり細かいことまで完璧を目指すことはないですね。ただ問題は、瑣末なことなのか重要なことなのか自分では判断しにくいことです。

 余談ですが、持っていく方がいい」と「持っていった方がいい」の違いは、この部分だけ取り出されると違いがないように思いますが、文脈で見るとはっきりするのではないでしょうか。「持っていった方がいい。」というのはアドヴァイスだと思います。持って行くべきかどうか聞かれたときの答えはこれだと思います。「持っていく方がいい」は個人の好み、判断だと思います。あなたはどうしたいのか、と聞かれた場合の答えはこちらでしょうし、決断した結果もこちらでしょう。

確かに

 参考書などにもいっそのこと「他にも用例はあるがひとまずはこの3点を覚えましょう」とか「学会でもまだ結論の出ていない問題です、深く考えるのはやめましょう」とか書いてもらったほうが親切と言えるかもしれませんね。

 簡単(そう)な単語、すごく基本的(そう)な単語。これらもひとつ判断の目安ではないでしょうか。"了"もそうですし、"也"もそうですし。"是"に関する論文もいくつもあります。英語で"have"なんて習い始めるとすぐに出てきますけど、難しい用法もたくさんある訳で。辞書と参考書を2,3冊見てもすっきりしなかったら、それはきっともともとすっきり分かることができる性質のものではない、そういう可能性が高いのではないでしょうか。

けいさんへ

 なかなかそこまで親切に書いてある参考書ってないですよね。辞書も、初心者は詳しすぎるものを隅々まで読むと、覚えられるものも混乱して覚えられなくなるように思います。混乱しそうになったら一点のみ理解してあとはまた今度、と思うぐらいでないと初心者は勉強が進まないかもしれません。
 日本語の文法について書いた英語の分厚い専門書を見たことがあります。それで例えば助詞の「も」を見ると詳しい説明が例文とともに何ページも続いており、私が読んでも「なるほどそういう使い方もある。」とあらためて気がつかされて感心しましたが、こんな文法百科は初めて「も」を習う人には百害あって一利なことは確かです。
 でも不思議に思うのは英語やフランス語の学習では中国語のような謎にはあまり出会わなかったことです。若かったので素直であまりどうして、とか考えなかった、ということもあるのかもしれませんが、文法体系が研究されていて説明がクリアーだった、教材が整備されていて習ったことからはずれる文は出てこないようになっていた、ということも考えられます。その証拠にペーパーバックを読むようになったら、学校で習った英語とは違うこともありましたし、フランス語でも学校では習わない言い方を日常会話で使っていたり、文法的に変な言い方がまかり通っていたりすることってあります。学習の最初にこういった文を「これもあるよ。」ってな感じでどんどん紹介されていたら学習の妨げになったはずです。ある程度分かってきてから変な文に出会っても「変だけどこういう言い方もするのか。」で済むんですけどね。その点まだ、中国語は整備が進んでいないか、規範が決まっていない部分が多いのかも、とも思います。(歴史が古い国なのでそれも変な話ですが、なんせ広くて国内の言語の統一も難しく、今まで外国人学習者に便宜を図っている場合ではなかったのかもしれません。)いやでも「了」も「也」もそういう問題じゃないのかもしれませんね。でも中国語の学習人口が増えていけば、研究も進んで、今より整理されてくる可能性もありますよね。

蒸し返しになりますが

'88-12『中国語』にも記載ありましたので転記します。
 動作の進行_岩佐昌
 進行の表現は,現在にだけ出現するわけではありません。過去や未来の動作にも使うことができます。例えば①「きのうぼくが彼の家に行ったとき,彼はちょうど食事中だった」(過去時の進行),②「あしたの晩彼の家に行ったら,彼はきっとテレビを見てるよ」(未来時の進行)をみてみましょう。ここで,「~したとき;~するとき」というのは“V的时候”~de shíhouといいます。「~したら」は“要是”yàoshi(もし)という語を文頭におけば仮定だということがはっきりしますが,何も加えなくてもかまいません。そうしますと,①,②は,
①昨天我去他家的时候,他正在吃饭呢。
②明天晚上去他家,他一定正在看电视(呢)。
のようにいいます。

Saitoさんへ

 本当に時制のマークがないんですね。不思議な言語で面白いです。時制のマークはなくても時の概念はあるのでしょうから、ますます興味深いです。これからもあれ?と思うことが多い言語なのでしょうね。楽しみです。
プロフィール

まゆの

Author:まゆの
1991年よりフランスに住んでいる。いろいろな言語をかじってはいるが使い物になるのはフランス語と英語だけ。中国語に限らず独学は初めて。こんなところで一人で何ができるのか挑戦してみようと中国語を始めるも思うように進まず、勉強を継続するためにこのブログを立ち上げた。その後、前に少し勉強したが忘れ去っているアラビア語とイタリア語も少しずつやり始めた。現在は、時間的な事情と学習環境が作りやすいイタリア語に集中することにして、あきらめずに続けている。メインブログとしてフランス語とフランス生活のブログを運営している。

2010年10月からしばらくイタリア語に集中することにし、

現在のメインテキストは
Allegro 3. +CD. Libro dello studente ed esercizi
その他、自主学習用にいくつかの参考書や問題集を使用している。

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