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無意味に複雑な、中国語の動量詞 

 毎日やるはずのダブルハピネス中国語文法 基礎編を2週間ぐらい忙しくて出来ないでいたが、また先週から毎日1ステップ勉強している。NHKの「アンコール中国語」講座も欠かさず聞いているが、この講座ははまだ始まったばかりで、今のところ復習にはなるが既習事項ばかり、聞き取りのスキットも難しくないし、新出単語も知っているものばかりだ。それはそれで進歩した、と思えるわけでうれしいものだが、喜んでいるだけというのも良くない。だから自分の教材で自主勉強しないと進歩はない。そう思って毎日1ステップずつこなすようにしていきたい。

 昨日ステップ031をやったが、実は今は「量詞」の章にいる。以前から「量詞って面倒だなー。」と思ってはいたが、この章を勉強して、今まで「量詞」と言っていたのは「名量詞」のことであり、実は「動量詞」というものもあったことを知った。

 で、初登場の「動量詞」。「名量詞」以上に面倒臭い代物に思える。私が習ったのは

 ci4    tang4   bian4   dun4  hui2  ( 最後以外全部4声。)

chang3 chang2   zhen4

この中でも1行目に入れた5つが面倒に思えた。日本語にするとどれも「回」になってしまうからだ。

 しかしよく考えてみれば、日本語だって回数を言うとき、「一回」と言う以外に「一度」や「一遍」もある。いろいろ考えてみたが、この3つは特に意味や用法に大きな違いはなく、互いに交換が可能なように思える。私個人は「一遍」はめったに使わず、「一度」は「一回」より改まっている感じがするが、これは個人差があるかもしれない。

 中国語に話を戻そう。問題の5つの動量詞の中で一番普通に見えるのは“次”だ。これのみ知っていた、というだけなのかもしれないが、私が知っているのだから使用頻度も高いのだろう。

”は往復の回数を表すらしいので“来、去、走”などと一緒に使われる。(これはまだ意味がつかみやすい。)

”からが分かりにくい。使われる動詞は“看,念,说,听,写”で、上手くは言えないがこの動詞群には何か同一の要素が感じられる。

 ”は食事、殴打、罵り、叱責などの回数を表すという。これが一番不可解だ。食事がここに混ざっているのもおかしな印象を受ける。

”は“”と同じらしいが“次”より口語的なのだそうだ。

”chang3 とchang2  の読み方が二通りあるのも迷惑だが、演劇、スポーツ、風雨に用いる。また変な組み合わせだが、風雨の時は2声を使うので、複雑さが倍増。

”は一区切りの時間を表し通常突発的な短時間の出来事に用いる、という。字面から雨に使いたくなるが雨以外にも使えるようだ。

 不毛な複雑さだな~と思いながら練習問題を始める。穴埋め問題、

这两天下了一 _____大雪。

刚才下了一___小雨  (gang1cai2)

うっかり二つとも“阵”を入れて失敗。上のは“场”chang2 であった。大きい雨や雪と小雨は動量詞が違う・・・。二つ目の文は内容的に“一”の代わりに“”になることなどないだろうなー、とますます不毛な思いになるのだった。こんなの数えなくていいのに・・・。

 外国語を勉強するときは、ケチをつけたり批判したりせず、素直に学ばなければいけないのに、なぜか中国語は文句ばかり言ってしまう。困った言語である。(私自身が困った人なのか。)

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テーマ : 中国語
ジャンル : 学問・文化・芸術

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では,困った叔父さんの登場です。
回はhui2ですね。おぉ! whenという新種のピンインも…。((^^;

よし,量詞力学(パクリ)チェックです。(^^;
HSK問題集[语法]
“我误了8:10的火车,请问,下一__去天津的火车几点开?”
 A. 节  B. 辆  C. 趟  D. 回
__部分に入るのはどの量詞でしょう?

Saitoさんへ

When?Where?と考えてやっと見つけました。これはですねー、私のキーボードはフランス語用なのでZのところにWがあるんですね。で打ち間違えるんですよ。直しておきました。声調もです。ありがとうございました。

量詞力学についてはもう少し考えてさせていただきます。今夜は遅いので脳みそが拒否・・・。

Saitoさんへ

 遅くなりましたが解答します。

答えはC。辞書に列車などの発着を数える、と書いてありましたので、ちょっと自信があります。

 Bは車の台数を数える量詞、Aは列車などの車両を数える量詞のようですが、二つともあてはまりません。これは「次の天津行きの汽車」ということですよね。Dはよく考えませんでしたが、違う気がします。さて、合っているでしょうか。

よくできました◎
解説まで書かれてしまい(^^;付け加えます。
“班”を使ってもいい。電車の場合,1両の車輌を“节”で数え,1本の場合は“列”で数える。

Saitoさんへ

 おー、二重丸!
解説、というよりは自己正当化(フランスのテスト答案はこれが重要なんですよ。ただ正しい答えを書いただけでは不十分なんです。)だったんですけど。
それにしても、やっぱりややこしいですねー。辞書を引いて調べたから正解でしたが、覚え切れません。でも辞書がだんだん使えるようになってきた、ということでもあるので少し喜んでいます。

中国語の「動量詞」と、いわゆる類別詞

はじめまして。中国語の動量詞はやっかいですね。僕も類別詞に関心があります。

小学館『中日辞典』(初版)793頁から。

動詞+数詞+"口"の形で、口の動作の回数を表す。
被蛇咬了一口「ヘビにひと口かまれた」
喝了一口水「水をひと口飲んだ」

※「ヘビにひと口かまれた」って変な日本語ですね。

"喝了一口水"「水をひと口飲んだ」の「口」は動量詞でしょうか、
それとも名量詞でしょうか。形式的には"喝了一瓶汽水"と変わらないわけですが、意味的には"喝了一口水"の"口"は動詞"喝"の意味特性を表しているように思えますが、いかがでしょうか。

下に貼り付けたのは僕のブログの記事の引用です。ご参考までに。

のじま

---
動詞類別について-『類別詞の対照』を読みながら
次の本をいま読んでいる。

西光義弘、水口 志乃扶 (編) (2004) 『類別詞の対照 (シリーズ言語対照―外から見る日本語) 』東京:くろしお出版

第 1章の「「類別詞」とは何か」(水口)によれば、類別詞というのは「名詞の意味的分類を表す言語手段」と定義されているそうだ(Aikhenvald 2000)。Aikhenvald(2000)はさらに類別詞を大きく八つに分類しているという。そのうち、ここでは「名詞類」と呼ばれるものと、「名詞類別詞」と呼ばれるものを見てみたい。

水口は「名詞類としての類別詞は、名詞の意味特性を表す言語手段であるが、名詞だけではなく、修飾語や動詞句まで、「一致」によってその作用域が及ぶことが特徴的である。」と述べている。次はスワヒリ語の例:

[1] Swahili (Aikhenvald 2000:35)
ki-kapu ki-kubwa ki-moja ki-li-anguka
CL7-basket CL7-large CL7-one CL7-PAST-fall
`One large basket fell.'

ki という「人工物」を表す類別詞である。その類別詞 ki が、名詞だけでなく、「一致」によって、形容詞と数詞と動詞についている。名詞類をもつ言語では、このように「一致」という形で類別詞が現れる。

これは日本語の話者から見れば、相当にけったいな言語だ。類別詞 ki- をくっつけることに異常な執着心を燃やしている。もうここまでくれば神経症だ。だって、こんな類別詞を四つの単語につけなくても、「大きなかごがひとつ落ちた」という意味は伝わるはずなのだ。だって、こんな類別詞を持たずに何不自由なくやっている言語は世界にいくらもあるのだから。とても無駄の多い、というか、効率の悪いことをしている気がする。

次の名詞類別詞は、名詞類の類別詞と同じく名詞の意味特性を表す言語手段だが、名詞類の類別詞と異なる点がある。それは類別詞がつくのは名詞句だけだという点だ。つまり、「一致」によって修飾語や動詞についたりはしないのである。次はハカルテック語の例:
[2] Jacaltec (Craig 1986:264)
xil naj xuwan no7 lab'a
saw CL:MAN John CL:ANIMAL snake
`Lit. (man) John saw the (animal) snake.'

つまり[2]はだいたい「人間であるジョンが、動物である蛇を見た」という意味だ。[2]の類別詞 naj, no7 はそれぞれ「人間」、「動物」という意味特性を持つ類別詞だ。ジョンが人間であるから、xuwan「ジョン」には naj がつき、蛇が動物であるから、lab'a「蛇」には no7 がついている。

これも、日本語の話者から見れば、相当にけったいな言語だ。だって、類別詞 naj, no7 がなくたって「ジョンが蛇を見た」という大まかな意味は伝わるからだ。同様に、こんな類別詞を持たずに何不自由なくやっている言語は世界にいくらもあるのだ。

でも日本語だって同じようなことを実はしている。それはいわゆる助数詞だ。「犬一匹」という。英語では同じことを one dog というのだから、英語の話者から見れば「日本語ではなぜ「犬一」といえないのか?」という話になる。同様に、「本一冊」も英語では one book という。英語の話者からしたら、「日本語ではなぜ本一といえないのだろうか」ということになる。

こんなふうに見てくると、たいていの言語には神経症的なところがある。ほかの言語の話者から見れば、「あんなことわざわざしなくたって、意味は伝わるのに」というところに執着して、一見「無意味」に見えるものを執拗にくっつけたりする。

ところで、最初に挙げた Aikhenvald (2000) の定義では、類別詞は「名詞の意味的分類を表す言語手段」と定義されているとのことだ。ところが、ブヌン語には、「動詞の意味的分類を表す言語手段」がある。Aikhenvald (2000) の定義に従うと、それは類別詞ではないということになってしまう。これには問題がありはしないだろうか。ブヌン語の例文を見てみよう。

[3]
kali-hna-un=ku a bukun=a ma-ludah.
LP(hit)-again-PV=AGT.1SG TC PN=TC.that AV-hit
"I hit Bukun again."

[4]
sau-hna-an=ku a bukun=a ma-saiv mas pinainuk.
LP(give)-again-LV=AGT.1SG TC PN=TC.that AV-give OBL clothes
"I gave clothes to Bukun again."

[5]
kis-u-hna-an=ku a bukun=a ma-laupa.
LP(stab)-EV-again-PV=AGT.1SG TC PN=TC.that AV-stab
"I stabbed Bukun again."

略号:LP for lexical prefix(語彙的接頭辞), PV for patient voice(被動者ボイス), AGT for agentive case(行為者格), PN for personal name(人名), TC for topicative case(題目格), AV for agent voice(動作主ボイス), LV for location voice(場所ボイス), EV for epenthetic vowel(語中挿入母音) , OBL for oblique case(斜格)

例文[3], [4],[5]では、いずれも先頭の単語が述語本体(いわゆる本動詞)だ。ここで問題になっているのは、「また叩く」「また与える」「また刺す」というときに、「叩く」「与える」「刺す」を表す自立動詞が異なるのは常識的に理解しうるとして(それぞれ ma-ludah, ma-saiv, ma-laupa)、「また」を表す単語もそれぞれ異なることだ(それぞれ kalihnaun, sauhnaan, kisuhnaan)。つまり、ここでも、情報伝達において、無駄の多い、というか、効率の悪いことがおこなわれているようなのである。

動詞類別については、研究が浅く、文献も少ない。しかし、将来、類別詞の理解において、名詞類別だけでなく、動詞類別もあわせて考察される時代が来ると思う。そのときはブヌン語の出番だ。

 詳しいコメントをありがとうございます。スワヒリ語、昔ほんの少し勉強していた人の話を聞いたことがありますが、性は男性・女性・中性とせいぜい3種ぐらいまで、と思っていたのが5種類でしたっけ?(すでに「性」とは言えないですが。)あるのでびっくりしました。日本語の数詞もなんでこんなの分類するの?と思えなくもない不思議な現象ですが、スワヒリ語は類別詞を全部につけるんですか。相当くどい言語ですね。思えば普段私が関わっているフランス語も男女の区別のないものにまでいちいち男女を割り当て区別していますし、単数とか複数とかもっと大らかに考えても十分生活できると思いますが、こだわりますね。余計な複雑さに思えます。なぜ人類は言語において避けることも出来た複雑さを編み出しこだわるのでしょうか。
アメリカインディアンの言語には実際に目に見えているものと見えていないもの(つまりreferenceがなく概念のみ)を語彙的に区別している言語があるそうです。いくつか例が挙がっていましたが、我々のなじみのある言語では1語になるべき同一のものが2語となり、しかも音声的にその2語にはなんのつながりもないんです。いったいこの言語を話す人の脳みそはどうなっているのかと思ってしまいました。一度今ある脳みそを捨て新しい脳に換えないと流暢に使いこなすのは無理そうです。
 ところでリンクさせていただきましたが、ちょっと違うな~と思いつつ「語学学習」のところに入れました。

中国語の動量詞とその歴史

中国語の動量詞について、ブログにまた記事を書きました。ご参考までに。

---
中国語の動詞類別詞「動量詞」:太田辰夫『中国語歴史文法』

小学館『中日辞典』(初版)793頁から、以下三行が引用箇所。
動詞+数詞+"口"の形で、口の動作の回数を表す。
例1:被蛇咬了一口「ヘビにひと口かまれた」
例2:喝了一口水「水をひと口飲んだ」

※ 「ヘビにひと口かまれた」って変な日本語ですね。なぜでしょうか。「りんごを一口噛んだ」は問題ないと思うのですが。「ひと口しゃべる」は問題があると思います(『新明解国語辞典(第六版)』には、「何か一口〔=短い話を〕しゃべる」とあります)。「ひと口」は「口の動作の回数」だとは思うのですが、日本語の「ひと口」は中国語の「一口」とは違って「吐く」には使えないと思います。

"喝了一口水"「水をひと口飲んだ」の「口」は動量詞だろうか、それとも名量詞だろうか。形式的には"喝了一瓶汽水"と変わらないわけだが、意味的には"喝了一口水"の"口"は動詞"喝"の意味特性を表しているように思える。

太田辰夫(1981:152-163)の「量詞」のところを読んでいる。説明が明快だ。ちょっと引用してみると:「量詞は数詞の付属語であるが、名詞の修飾語となるものと動詞の補語になるものとがある。前者を名量詞といい、後者を動量詞という。名量詞は事物の数量をかぞえるもので、動量詞は動作の回数をかぞえるものである。」太田辰夫(1981:152)。

次は、僕が疑問に思っていた「名量詞と動量詞とをどうやって区別するか」という問題点に言及している部分だ。引用する:「ところが同一の量詞がこの二つのばあいに用いられて、区別がつけられないようにみえることがある。例えば、《打一頓》《喫一頓飯》では《頓》は動量詞か名量詞かという疑問が生ずる。このようなばあいは、この量詞を句のはじめにおくいいかたをしたばあい、どうなるかを検すればよい。すなわち、
一頓飯也没喫-○
一頓也没喫飯-×
一次電影也没看過-○
一次也没看過電影-○
 このように、「数詞+量詞」を名詞から分離できないもの(《頓》のごとく)は名量詞で、分離できるもの(《次》のごとく)は動量詞であると考えればよい。つまり、《頓》は名量詞であるが、《打一頓》のようなばあいは臨時的に動量詞として用いられているものと解すべきである。《喫一頓飯》のごとき、《頓》は《飯》の修飾語であり、《看一次電影》のごときでは、《一次》は《看》の補語であると考えるほうが、《次》や《頓》の本来の性質からいって自然である。」太田辰夫 (1981:152)。

非常にわかりやすい。そして、僕が興味がある動量詞は、159頁から161頁にかけて述べられていて、159頁にさっそく次のようなおもしろいことが書いてある:「古代語には動量詞は存在せず、動作の回数を示すときは数詞をただちに動詞のまえにおく」(太田辰夫 1981:159)。例:

吾日三省吾身(論、学而)(わたしは日に三たびわが身をかえりみる)

問題は「古代語のこのような表現がどうして現代語のように変化したか」である。これについては、後日またここで紹介することにする。

追記:高橋太郎 (2005) 『日本語の文法』ひつじ書房, 56頁に日本語の類別詞の話が出てくる。そこでは「数や量を表す数量名詞は、格のくっつきのつかないかたちで数量をあらわす修飾語になる。
・太郎はご飯を5杯食べた。

追記:武柏索、王淑文、周国強(編著)(1995) 『中国語量詞500』 (東京:中華書店)が届いていたので、覗いてみた。「口」には名量詞用法と動量詞用法とがある。動量詞は「口の動きの回数に用いる」とあり、次の四つの日本語訳とともに中国語文が掲げられている。

(a)主任はグラスをあげ、口もとによせ、ほんの一口飲んだ。

(b)彼女はあの悪党を心の底から恨み、咬みついてやりたいくらいだ。

(c)食後、妹は急に胃の痛みを訴え、そのうち何度も吐いた。

(d)看護婦さんがジュースを持って来て、患者に一口一口飲ませてやった。

つまり「飲む」「咬む」「吐く」が動量詞「口」で一つの類に類別されていることになる。、

  私自身は、中国語の専門書、研究書に目を通すことはないと思うので、情報をありがとうございました。
 古代語には動量詞がなかったのにどうして出来てしまったのでしょうね。別に作らなくて良かったのに。
 動量詞か名量詞かの区別する方法、こういうテストは上級者しか出来ないんですよね。私はそもそも可否を判断する力がありません。

「一口しゃべる」という言い方が国語辞典に載っているのですか。私は変だと思いますが。あの辞典はちょっと特殊なんですよね、面白いので好きですけど。「一口」は個人的には食べる、飲むに関して、あるいは保険や共済に加入する時の加入単位としての一口、にしか使わないです。「しゃべる」という動詞は口語的で使い方の規範がゆるいのかもしれません。「* 一口言う。」というのはないですね。

今年もよろしくお願いします。試しにと思って『明鏡国語辞典』で「くち」をひいてみました。無難なところで、次のように書いてあります。

(1) 飲食物を口に入れる回数を数える語。「一口で食べる」

(2) 数量・金額などを申し込む単位を数える語。「一口千円の寄付」

この辺が妥当ですよね。ちなみに、飯田朝子(2004)『数え方の辞典』小学館では次のように書いてありました。ブログの記事から引用します。

---
評判の良い本だ。「なぜだろう?」と前から思っていたが、触手を伸ばさないでいた。でも(動詞)類別詞には興味があるし、飯田さんは学生の頃からの知り合いだし、もっていても損はないだろうと思って買った。とりあえず、「め【目】」と「くち【口】」をひいてみた。

「め【目】」は載っていた。390頁に、「数詞「一(ひと)」を伴って、「ひと目会いたい」のように「一度」と同じ意味で使います」とある。あまり驚きはない。無難である。これくらいなら、普通の国語辞典に載っている。

「くち【口】」を見てみた。これは問題があるとおもう。342頁に次のようにある:(1)物を口に入れたり、口から出す回数を数えます。a. 食べ物や飲み物を口に入れる回数を数えます。「ひと口で食べる」「酒はひと口も飲めない」 b. 口から出したり吐いたりする回数を数えます。「ひと口の唾を吐く」 c. 一度に口に含める分量を表します。「ふた口で食べ終わる」。(1)aは問題がない。というのは「ひと口食べる」といえるからだ。しかし、(1)bはどうか。《一度吐いた》ということをいうのに、「ひと口吐いた」といえるだろうか。

「め(目)」や「くち(口)」を動詞類別詞と見なして興味を持っているものとしては、この辞典に物足りなさを感じた。「ひと口の唾を吐く」といった、まず話し言葉では口にしたり耳にしたりしそうにない例を挙げるよりは、「ひと口吐いた」とは普通は言わないことを指摘して欲しかった。その方が、日本語を学習している外国人にも役に立つだろう。

こちらこそよろしくお願いいたします。

私ものじまさんが疑問に思った文例は変だと思いました。許容範囲は人によって違う部分がありますが、こういうものを外国人の教えなくてもいいと私も思います。

国語辞典はたまにしか使いませんが、普通の単語も調べてみるものですね。特に私が持っている「明解」は笑えることが書いてあることがあるんですよ。今度記事にしようと思います。
プロフィール

まゆの

Author:まゆの
1991年よりフランスに住んでいる。いろいろな言語をかじってはいるが使い物になるのはフランス語と英語だけ。中国語に限らず独学は初めて。こんなところで一人で何ができるのか挑戦してみようと中国語を始めるも思うように進まず、勉強を継続するためにこのブログを立ち上げた。その後、前に少し勉強したが忘れ去っているアラビア語とイタリア語も少しずつやり始めた。現在は、時間的な事情と学習環境が作りやすいイタリア語に集中することにして、あきらめずに続けている。メインブログとしてフランス語とフランス生活のブログを運営している。

2010年10月からしばらくイタリア語に集中することにし、

現在のメインテキストは
Allegro 3. +CD. Libro dello studente ed esercizi
その他、自主学習用にいくつかの参考書や問題集を使用している。

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