こっそり外国語

フランスに住んでいるのになぜか中国語をやろうとしている管理人の、学習日記とつぶやき。平行して、アラビア語とイタリア語の学習、英語の読書ものんびり進めているので、その関連の記事もあります。

ハリー・ポッター読了

   図書館で 借りてきていたこの本、やっと読み終えた。


Harry Potter and the Philosopher's Stone (UK) (Paper) (1)


 前にも書いたが全然好きではなかったので、批判するにも最後まで読まなくては出来ない、と思って読んだ。


この本の題名はHarry Potter and the Philosotpher's Stoneとなっているが、賢者の石が出てくるのはかなり終わりの方。フランス語版の題名はHarry Potter à l'école des sorciers(魔術師の学校のハリー・ポッター)となっており、こちらのほうが合っているのではないか。米国版はHarry Potter and the Sorcerer's Stone だ。(もしかして本文も米語に書き換えてあるのだろうか。)


 私自身は登場人物が単純なパターンに陥りすぎているように思え、感心しない、夢中になれない本であったが、どうして人気があるんだろうか、と考えながら読んだ。


 魔術師の学校の様子が実際の学校生活と重なり、子供には面白いのだろうか、と思った。(なかなかイギリス的な学校でそういう意味では面白かった。)


 しかし、人格がどうもはっきりせず主義主張がまるでないハリーが、魔術の学校に入ったあと、虫の好かないクラスメートに対して突如攻撃的になったこと、退学になりそうなことを次々とそれをする理由もよく分からないのにやること、など、不自然に思える。なんだか腑に落ちない気がするのだ。魔法を使う能力があると言われ、驚くのは分かる。自分は魔法使いの世界では有名人であると聞かされ、信じられないのも分かる。ただ驚いているだけだったのが、学校で飛ぶ授業があったら、先生も一目置くぐらいすぐ出来てしまい、ルールも知らないスポーツのチームの重要なポストを突然任される、などの展開に疑問を感じる。また、消極的な性格に見えたハリーが、余計なところで勇猛果敢であり、それで学内のヒーローになってしまう、などなんだか変に調子がいいのだ。


 フランスの何かの雑誌の現代の風潮などを論じたページで、「ハリー・ポッターに見られるように、現代人は努力もなしに簡単に結果だけ得るのを好む。」、というようなことが書いてあった。魔術というものは努力で獲得する技能ではなく、生まれつき持っている能力であると思うのだが、それにしても簡単すぎないか。


 本の冒頭部のハリーはいかにもぱっとしない何の取り柄もない少年である。その少年が苦労を重ねて何かを得る、という話ではなく、突然降って涌いたような話からヒーローになってしまう、という話なのだ。子供はこういうハリーに自己同化してこの本のファンになるのだろうか。


  本の最終章の中で死と愛について登場人物がコメントしているところがあり、そこは少し感銘(というほどでもないのだが。)を受けた。


 話題になったのでうちにもフランス語版を買ってみたが、読書好きの長女は最初の50ページぐらいは読んだが好きじゃない、と言っていた。彼女に賛成だ。


 うちの近所の図書館は英語の本はとても少ないのに、このハリーのシリーズだけはペーパーバック版を全てそろえている。他の本も入れて欲しいものだ。


テーマ:洋書多読 - ジャンル:学問・文化・芸術

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この記事のコメント

なかなか手厳しいですね。
でも頷きながら読ませていただきました。
私もハリーの魅力が今ひとつだと思っています。

平凡な子供が実は魔法使いだった、実は選ばれし者だったという設定は珍しいものではありません。ただしその場合、1から魔法の特訓を受けるとか、強大な力を制御しきれず苦労するなど「の修業時代」を経て成長するのが主人公のお約束でした。
ところがハリーは「やってみたら出来た」なのです。最強の敵に狙われてはいるものの、先生からは目をかけられ手厚く守られ、生徒間でも「来ていきなり特別扱い」という人間関係へのハンデを物ともせずに、仲間を得て上手くやっていきます。

この「どんどん出来る、どんどん進む」という点が人気なのではないでしょうか。
少し話がそれますが、このシリーズは小道具の使い方が上手ですね。魔法の道具や授業の教材、学校のちょっとした仕掛けやお菓子まで、細々したことに趣向を凝らしてあるのは子供の興味を引くと思います。
それなのに物語自体は結構ざくざく進みますよね。1作で1年間を描くと決まっているためか、各巻の構成も同じです。人間界からホグワーツへ行く新学期、生徒間のいざこざ、新しい先生の授業、クィディッチの試合、ラストの対決....。
決して森の中を何週間もさまようような、登場人物にも読者にも忍耐を強いる場面は出てきません。

本を読まない子供がハリポタは大好きで読む、というのはこの単純さが要因ではないでしょうか。まゆの様のお嬢様が夢中にならなかったのは、読書の経験値が高いからだと思います。
ファンタジーの面白さは、その世界を自分の中で無限に空想できるところにあります。ハリポタは空想すると云うより、映画を見ているような気分になります。(違いが上手く説明できませんが) そしてそうやって思い描いたままの映像が映画の中にあるのです。
だから私は、このシリーズが小説であることの必然性を見出せません。活字ならではの面白さを感じられないからです。

おそらく私が好きになれない理由と世間で人気がある理由は、同じ所に根ざしていると思います。ですからハリポタが好きだと云う人たちのことは理解できますし、本嫌いな子が本の魅力に目を向けるきっかけになるのであれば、そこに十分な意義があると考えています。
できればもっと面白いファンタジーをご紹介したいのですが(笑)。

長々と失礼いたしました。
2007-11-27 Tue 12:09 | URL | すい [ 編集]
 丁寧なコメント、ありがとうございます。
 これでもかなり甘めにあっさり書いたつもりなんですよ。あまり悪口ばかり細かく書いても読む方が疲れるかと思ったので。

 ご指摘の通りですね。登場人物の描き方が浅いわりに、小道具が綿密です。お菓子の名前まであり、おまけにどんなカードが付いてくるかとかまで書いてあります。

 あと、映像になったらインパクトがありそうなシーンがたくさんありました。映画化されたのも分かります。

 気に入ったらフランス語版でも読んでみよう、とか思っていたのですがもうそんな気になれません。続きを読む気もないです。このシリーズで時間を無駄にするのはこれ限りにしたいものです。

 日本語版も外見だけ見ましたが、分厚くて重い本ですよね。ああいう本を読書に関心がなかった子供が手にとって読み始める、というだけでもこのシリーズの存在価値はあると思いますが、もともと読書が好きな人は魅力を感じない、言わば評価が分かれる本、ということなのでしょうか。

 世界的に人気のある本のようでしたし、子供ばかりか大人までが面白がっている風だったので、それなりに期待して読み始めたんですよ。それがあまりにも内容がなくて本当に失望しました。そしてシリーズの他の本も同じパターンで続くわけですね。ますます興味を失くします。

 でもこのシリーズ一作目では結局謎はまだいろいろ残っていると思うのですが、それが少しずつ解けていくんですよね。でも、もうハリーは結構です。 
2007-11-27 Tue 23:57 | URL | まゆの [ 編集]

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